翌朝
翌朝早く病院の母から電話がきて、病院から家族を集めるように言われたとのこと。
昨日まで大丈夫そうだったのに、と思いながら病院へ駆けつけると、
父にはすでに吸入器がつけられ、苦しそうな呼吸にかわっていました。
一気に進むとはこういうことか、と驚きながらも何もすることもできずただただ横で
見ているだけでした。
前日に父が食べたいといって最後に食べたプリンが吸引器によって器官内から
取り除かれていました。
数日前から尿量ががたんとおち、前日は一日一回程度になっていました。
そして急に症状が進んだのです。
以前ブログでも書きましたが、便は一週間でなくても命に関わりませんが、
尿は一日出ないと死にいたります。
先日亡くなられた三笠宮寛仁親王も同じような経緯をたどりました。
ポーランドから日程を早めて帰国された長女の彬子さまも、10時間以上
尿が出ていない状況が続く中、帰国に踏み切った旨の記事がでていました。
それほど腎機能というのは体にとって大切だということです。
父もなくなる前日から尿毒症による皮下出血が心臓から遠い足などに出始めていました。
少しマッサージするとなくなりましたが、あっという間にもどってしまいました。
当日も足や手からだんだん冷たくなっていき、脈も弱くなって触れなくなっていきました。
呼吸の回数が次第に減り、夕方静かに息を引き取りました。
母は今でも薬で殺されたと思っています。
ですが、痛みを我慢させても薬を打たないほうがいいのか、と言われたらそれは
本人の意思に任せるしかありません。
癌で自宅でなくなる選択をされた方のご家族がいらして、本人が痛み止めをできるだけ
打ちたがらなかったので、亡くなった時の形相がとても険しくて家族は本当にいたたまれなかった、
と話していたのが印象的でした。
どういう臨終を迎えるのか、癌でなくなる場合には時間があるので、本人も家族も
いろいろ考えます。
結果として何がよかったのか、それは誰にもわかりませんけれど、残された家族が
悲しんだり悔んだりしない臨終の迎え方が大切なのではないかと思います。
そう意識していたつもりでしたが、家族はそれぞれ思うところはあるようです。
最期の会話で「明日結果を出す」と言っていた父でしたが、本当に
翌日結論を出して家に帰ってきました。