今日は満月。
昼間の大雨が大気を洗い流してくれたようで、澄み切った夜空に満月が輝いています。
そんな満月を眺めながら今日のことを振り返ってみます。
今日も母の病院へ行ってきました。
ようやく抗がん剤を飲む決心ができた母ですが、いざ先生の前に出ると弱気になってしまいました。
この先生の診察は3回目ですが、治療は一向に始まりません。
母が抗がん剤を飲むのを納得しないからです。
また来週まで同じ状態で持越しかな、と思いましたが、うまく医師が話を進めてくれ、ようやく今週末から飲み始めることになりました。始めてみないことには何もわかりません。
最初はTS-1という錠剤を3週間ほど飲んで、様子を見ながら次第に強い薬へ移行するというのが標準的な治療のようです。
地方の病院では最初から入院というのもあるようですが、近所の大学病院ではベッドの空きがないので、可能な限り通院での処方になります。
一人暮らしの母はやはり不安があるようでしたので、先生から介護保険の手続きを勧められました。
看護師さんの訪問看護も受けられるし、ヘルパーさんだって頼める。
そこで母は固まりました。
自分が介護を受けるなんて、と。他人が家に勝手に入ってくる(と思い込んでいる)なんて、と。
家の掃除ができていないのが恥ずかしい、近所の人の目が恥ずかしい。
私には母の気持ちが全く理解できません。でも口は一切出しません。
口を出せば、あとで嫌な思いをするからです。
「あの時あんたがこういったからしょうがなく・・」と。
40年以上の間、数えきれないほど聞かされましたので私もさすがに学習しています。
医師から見れば、何のために毎回娘が付き添っているのか理解できないでしょう。
黙って座っているだけですから。(時々数値の質問はします)
医師を前に些細なことで母の感情は行きつ戻りつし、診療時間はあっという間に40分を過ぎました。
うちの診察の後はいつもたくさんの癌患者さんとご家族が、予約時刻を大幅に過ぎて待っています。
そういったことを冷静に見つめながら、病人の相手をしている自分はとても偽善にあふれていてつまらない人間に感じます。
母と娘の関係は難しい。
その関係もだいぶ終わりに近づいてはいるけれど、自分は何がしたいのかよくわかりません。
後悔しないために病院に付き添っているのか、そもそも後悔なんてするのだろうか、
そんなことを月を観ながら考えています。
この母の娘として生まれてきた意味、まだわかりません。