丸木俊さんについて
丸木俊さんってご存知ですか?
いまは知らない人も多いのかもしれません。
ノーベル平和賞の候補になったこともある方なのですが。。
埼玉の東松山に丸木美術館というのがありますが、俊さんと夫の衣里さんの作品が展示されています。
いちばん有名な絵に「原爆の図」というのがあります。
原爆投下直後に現地入りした俊さんが長年かかって描いた巨大な屏風絵です。
俊さんが亡くなってずいぶん経ちますが、一度お会いしたことがあります。
きっかけは一冊の絵本です。
小さいころに家で読んだ本で「12のつきのものがたり」というものがありました。
とても絵のきれいな絵本でお気に入りの一冊でした。
幼心にこの人の名前だけは覚えておかなければ、と「俊」という名前はずっと記憶にとどめておきました。
その本に再会したのはずっと後の、上の娘が生まれた直後です。
子育て中は近所の図書館に通いづめでしたので、この本を偶然見つけたときは本当にびっくりしました。
子供の頃、この本を開くときに感じたぞわぞわした感覚が蘇ることにも。
絵が本当にきれいなのです。
俊さんは戦前ロシアで家庭教師をしていたことがあり、そのころにみたロシアのいろんな色がその本の中にちりばめられています。
この本に再会して、いろいろ調べてみると俊さんがご存命なことを知り、無鉄砲な私はなぜが俊さんに仏像の絵を描いてもらいたいとお手紙を出しました。
しばらくすると姪の村上さんという方からお返事をいただき、一度丸木美術館にいらしてください、とのこと。
私は娘を連れて早速伺いました。
初めての丸木美術館はずいぶんうらぶれたさみしい美術館でしたが、中に入ると、展示してある「原爆の図」に圧倒されます。
その日は俊さんご本人もいらして、うちの娘とひとしきり遊んでくださり、絵本を数冊サイン入りでくださいました。
個人の依頼で絵を描くということはその当時されていなかったそうで、俊さんのご自宅に上がり、村上さんの案内で絵を何枚も見せていただき、その中の一枚を買いました。
その後リトグラフなども増えて、今でも宝物の絵が何枚かうちにはあります。
上の娘はその当時のことは覚えていないようですが、着るものの色の組み合わせは俊さんの絵の色使いに似ています。
下の娘も色の組み合わせにはうるさいです。
小さいころに見るものというのは生涯影響するものなのかもしれません。
綺麗なもの美しいものを小さいうちにたくさん見せておくことは、子供にとっての一生の宝になるはずです。
ちなみに大阪の中心街で育った主人は、色の組み合わせの感覚が私とは全く違います。なので服を選ぶときには必ず私か娘たちの意見を聞いてから購入します。
びっくりするような色を買ってきたりすることは少なくなりましたが、今は単身赴任中なので、知らないうちにクローゼットの中の色がめちゃくちゃになっているのではないかと心配です。