母のナクナリ方
両親の死に際して学んだことの一つに延命治療の拒否があります。
実は母の臨終には誰も立ち会うことができませんでした。
朝はやく病院から電話があって駆け付けた時にはすでに亡くなっていました。
病院に着いて案内してくれた看護師さんが言葉を選んでいる表情を見て、「もうなくなっているんですか?」と尋ねましたら「電話した時には、もうすでに心肺停止でした。そうは聞いていませんか?」とのこと。
そうは聞いていませんでした。心拍数が急に落ちて、という表現だったと思います。
一般病室から特別室に移された母は穏やかに眠っているようでした。違うのはただ息をしていないだけです。
まだぬくもりはあり実感がわきませんでした。
兄弟が来るまでに時間がかかるので、その前に私一人で死亡診断に立ち会い白い布を顔にかけてもらいました。
身体をきれいにしてくれた看護師さんが「こんな風に病院で自然に亡くなる方ってほとんどいないんです。癌の皆さんは呼吸器につながれたまま亡くなるんです。今朝までお話ししてお水も飲んでいたんですよ。そのあとナースステーションに戻ると急にモニターの警告音が鳴って・・・。病院で点滴を拒否されるかたって珍しいのですが、本当に自然に亡くなられましたね。」とほほ笑んで言ってくれました。
なんか母には申し訳ないですが、ほんのりとした気分になりました。
母はほとんど痛みもなく文字通り安らかに眠りました。
それは点滴をせずに脱水で亡くなったからです。
もちろん最後まで水分を経口摂取していました。
時にはりんごジュースを飲んだり、ゼリーも食べたりしていました。
「ホントウニオイシイ。」とうっすら微笑みながら言っていたのを思い出します。
腹水も最終的にはほとんどなくなって、本当にきれいな身体になってなくなりました。
最後まで点滴と人工呼吸器に繋がれた父とはまるで正反対です。
父は点滴でどんどん身体に水分を入れるものの、癌で腎不全が進みますのでお腹はどんどん膨らむ一方で痛みもそれに伴ってどんどん強くなりました。
最後はモルヒネで痛みを抑えながら、それでも意識がはっきりしているものですから暴れたり、薬の効きが切れてくると痛みで顔をしかめていました。
痛みどめの点滴の落ちる量を自分で最大限に変えてしまうので、そうしないように家族が見ていなくてはなりませんでした。
点滴を拒否して脱水で亡くなる。
それが本人にとっても周囲にとってもいちばんいい方法なんだと、知り合いの看護師さんが後から言ってくれました。
母は多分注射が嫌だっただけなのです。
ですが自らの体を張って、そんなことを証明してくれました。
妹と「そんな風に亡くなりたいね。」と話しています。
「でも点滴断る勇気があるかどうかわからないね。楽だってわかったら打っちゃうもんね。」
私も最期は点滴を断れるようになりたいです。
母は偉大です。