うつは歩くと治る!!ていう説があるんです。
最近読んでいる本でスリランカのお坊さんと日本人のお医者さんの対談の本があります。
「仏教と脳科学ーうつ病治療・セロトニンから呼吸法・座禅・瞑想・解脱まで」
高3の娘もいつの間にか読んでいて、「お母さん!!あの本すっごく面白いよ!!」とすすめられたものの、仏教の話が難しくて読み進むスピードは非常に遅いです。
娘の心に残った言葉として、本の中に勉強する意欲がなくなってしまった大学生の話が出てきます。その人の相談を受けたスリランカのお坊さんのスマナサーラ氏は質問をします。(以下抜粋です)
ス氏「あなたが学校に行かず、授業をサボると、困るのは誰ですか?」
学生「一番困るのは親だと思います。」
ス「いいえ違います。親は、授業をサボっているあなたのことを心配するかもしれませんが困りはしません。親は喜んで授業料を払っているのです。それは親としての楽しみなんです。」
学「それでは私ですかね。」
ス「あなたは自分の意志で授業をさぼり、勉強せずにいて、困ったり悩んだりすることになっても、それは自分が喜んでやった行為の結果だから、親にも私たちにも関係ありません。(中略)」
学生は返答に困ってしまいました。
ス「正解を言います。あなたが勉強しないことで、社会の皆が困るのです。いいえ、社会の皆どころではありません。あなたが勉強しないことは、世界の皆に対して、大変な迷惑なのです。(中略)一人の人間が何かの学問を学んで、一人前になって仕事をして生活するという形で人類に貢献しているのです。例えばガソリンスタンドでバイトをするということであっても、人々は助かっているのです。役に立つ仕事ができない大人になることは社会に迷惑です。そのような人々を、社会はあたかも慈善事業のように助けてあげなくてはなりません。(中略)人が真面目に勉強するということは、人類に迷惑をかけないということであり、皆のために生きることです。(以下略)」
この文を読んで娘もハッとしたといいます。目的が自分のためでないとわかると、無責任なことは言えなくなります。
これがもし、僧侶のところへいかずに、お医者へ行った場合どうなるでしょう?
「軽いうつ」などと診断され、多くの場合薬が処方されることになりましょう。
それは副作用を残し、すぐに回復する可能性のあった状態も先延ばしすることになるかもしれません。
「やる気がない」イコール「うつ」と考える風潮が強すぎるとスマナサーラさんは警告しています。
また「自分のためだけでいい」という人が増えていて、なので嫌になったらすぐにやめてしまうのだと、この本の中では行っています。
スピリチュアルなどが流行っているのも、現世の自分さえよければいいという考え方が多くの人を迷わせている原因ではないかと私は思います。私も嫌いではないですが、はまりすぎるのはどうも、と思います。
カウンセラーの言うことが100%正しいと思い込んでしまうのは間違いです。最終的には自分のことは自分にしかわからないと言うのは確実なことです。それを皆さん忘れてしまっています。
今この一瞬一瞬をを一生懸命、人のために生きる、そういう考え方を持つともっと毎日が楽になるのでは無いかとこの本を読んで思いました。
長くなってしまったので、「歩くと・・・」の話は次回にします。
この本のなかには書いてありますので、急ぐ方はご一読をお薦めします。